
私の唯一の著書は「廃競馬場巡礼」という題名で、内容は昭和10年以降に廃止された競馬場の跡地を巡り、
その当時の状況などを紹介していくというものなのだけれど、これが一部の競馬ファンの心には直撃するみたいなんですよね。
かつて「廃墟」ブームがあって、そこから「鉄道の廃線跡」を扱う本が大々的に発行され、
それと同じような観点から「廃競馬場」に萌えるようになった私なのだけれど、
なんというか「つはものどもが夢の跡」とか徒然草の「花は盛りに」に代表されるような儚さに心を動かされる人はけっこう多いらしい。
最終レース後の競馬場に舞い上がる紙屑なんて、現代における「つはものどもが夢の跡」の象徴的景色だよなあ。
ということで、その本を書いてからも各地の廃競馬場に出かけては、美しいカーヴに萌え萌えになっている私なのだが、
戸塚競馬場の跡地にはこれまで行ったことがなかった。
南関東の4競馬場は、いずれも太平洋戦争後に作られたもので、それぞれに前身の競馬場が存在している。
浦和は春日部競馬場、船橋は柏競馬場、大井は八王子競馬場、川崎は戸塚競馬場が本流で、そのほかにも市川とか羽田とか大宮とか、
戦前にはすごい数の競馬場が全国にあったのだ。
神奈川県には川崎、戸塚のほかに、小田原や平塚、大船などに競馬場があった。
それだけ開催があったのは、娯楽の少ない当時のことだから、競馬を開催するとガバガバ儲かったというわけですね。
しかし、どの競馬場もウハウハだったわけではなくて、経営的にイマイチだったところもあった。
たとえば柏競馬場は最寄り駅から徒歩30分。
今は人家が立ち並ぶ柏市でも、昭和20年代は田畑が広がる柏町だから、そりゃ最初のうちはにぎわっても、
松戸競輪などの競合相手ができてくると、立場的に厳しくなってくるのは当然ですわな。
というわけで、戸塚も駅から遠くて興行成績的に微妙だったということで、現在の川崎競馬場に移転することに。
そして「移転しておいてよかったですね~」という状況になっている。
私は埼玉県民ですから、神奈川の競馬場がいまだに戸塚だったら、行くのはちょっと大変ですよ。
その戸塚競馬場跡は、戸塚駅の西口からだいたい1.5kmのところにある。
普通なら歩くところだが、迷いそうな気がしたので地下鉄に1駅乗って、踊場駅で下車。
まずは交番に行って地図を見せてもらう。
(交番で撮った地図にコースを加筆)
それをもとに探索開始。
まずはスタンドがあった戸塚高校を目指す。
そして高校を過ぎたところを左に曲がって競馬場跡へと向かったのだが、すごく急な下り坂ですよ!
本当にここが競馬場かよと思うような地形を下ると、広い道路に出た。
うおお~、すげえぞ、このカーヴ!!
(美しきカーヴを描く2コーナー)
どうやら戸塚競馬場は、窪地のガケを外ラチにしていたような感じだったらしい。
そのカーヴに引き寄せられて、実地検分開始!
GHQが撮影した航空写真に写っている審判台の位置をもとに考えると、戸塚競馬場は左回り。
ということは正面のカーヴは2コーナー。
そこからコースを順周りにたどっていこう。
向正面は戸建ての住宅が並んでいて、道路が美しく弧を描いている。
というのも、戸塚競馬場は凹型のコース形態で、向正面には直線がほとんどないという形だったのだ。
2コーナーのカーヴは90度以上の角度で内馬場方向に向かい、横浜市汲沢保育園のあたりが凹型の底の部分になる。
それがよくわかるのがこの場所。
スタンドを背にして右を見れば2コーナー、左を見れば3コーナー。
ああ、なんて美しい!
(向正面の凹部の底から3コーナーを望む)
しかしまあ、トリッキーというかなんというか。
左回りの競馬場で右カーブがあるなんて、騎手はけっこう大変ですよ。
しかも外ラチ沿いはガケだから、2コーナーから3コーナーが見通せない構造。
これは騎手の腕が結果に直結するような感じがあるなあ。
なので3~4コーナーは、210度ぐらいのカーブ。
GHQが撮った写真によると、まるでF1レースの車の軌跡のように、最短距離を通る馬の道筋が写っている。
そして最後の直線はけっこう長い。
ホームストレッチ自体は400mほどありそうだが、審判台の位置から考えると、4コーナーからゴールまでは250mぐらいか。
それでもカーブ続きでフラストレーションが溜まった馬が、まっすぐ走れる場所を得て爆発的に伸びていく!
……ということは、たぶんなかったんだろうなあ。
なんてったって、その当時の地方競馬の出走馬の多くは、近所で田んぼや畑を耕していた馬。
プロの競馬ウマもいたが、トウホクビジンも真っ青というローテーションで走りまくっていたのだから、
競馬の質が今とは全く違っていたと思われますわ。
(ホームストレッチはけっこう長い)
ホームストレッチを望むスタンドは高台にあって、現在は戸塚高校のグラウンドになっている。
起伏の大きい一帯にある妙に平らなグラウンドを見ると、ここはおそらく観客用の施設を作るために造成された土地ではないだろうか。
おーい!
野球部が守備練習をしているその辺は、65年前まで競馬場のスタンドだったんだぞ~!
(戸塚高校のグラウンドはスタンドと馬券売場の跡地)
そんな戸塚競馬場も、駅から遠かったこともあって短命に終わってしまった。
戸塚駅西口からの道中は起伏が大きいので、競馬場に行くのも帰るのも、ちょっとした難行という感じがある。
でも、かつては本物のドロドロ親父がどす黒い波を作りつつ、押し寄せていたんだろうなあ。ちょっとノスタルジー。
ぜひ皆さんも、国土地理院の航空写真アーカイヴを見ながら、当時の情景を思い浮かべてみてくださいな!
戸塚競馬場がキレイに写っている写真は
こちら
です。
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その戸塚競馬場メモリアルといえるレースが戸塚記念。
戸塚競馬場で乗ったことがある人って、川崎競馬の関係者のなかにいらっしゃるかしら?
しかし川崎所属馬が1頭しか出ていないなんて、なんて寂しいんでしょ!?
とはいえ、黒潮盃より賞金が高い一戦だから、ここを目標にしてきた馬も多いはず。
それでも中心を形成するのは、春の実績馬でしょう。
ここは気合の入った追い切りを消化してきたパーティメーカーに期待大!
◎パーティメーカー
○ストゥディウム
▲ゴーオン
△タケルオウジ
△ミスアバンセ
△リボンスティック
浅野 靖典
1969年8月1日生まれ
1998年にグリーンチャンネル「中央競馬中継」のキャスターから競馬関係のキャリアをスタート。
現在は各種媒体に原稿を寄稿し、競馬関係のメディアにも出演。
JRA、青森、九州のセリ市場の司会進行役も担当している。
ときどきグリーンチャンネルの番組「競馬ワンダラー」で、ワゴン車の運転手として全国を放浪。
各地の地方競馬場には1~2年に一度以上は訪問している。