「やっぱり3連勝式!?」
2016/6/21
私が馬券デビューを果たしたのは、たしか21歳の秋。今となっては何月何日の何競馬場の第何レースがデビュー戦だったのか、過去の成績表を見返してもまったく記憶がよみがえってこないのだが、たしか午後2時頃に高校の同級生だったヤツにウインズ後楽園に連れて行かれ、12番の馬の単勝を400円買い、それが1600円ちょっとになったはず。
と覚えているのだけれど、その年の秋の成績表をみると、12頭立て以上で実施されたレースってかなり少ないのね。1日の半数近くが9頭立て以下という日も多いし、全11レースで実施されている日も多い。今のJRAはフルゲートが当たり前という状況に比べると、なんて取り組みやすかったのでしょう!
そしてその当時の競馬は、単勝と複勝と枠連だけの世界だった。それについて、初心者の私はまったく不思議に思わなかったし、友人からもウインズでガヤガヤしているオジサンたちの独り言からも、不満などを聞いたことはなかった。
その当時はマークシートがない時代。窓口のおねえさまに買い目と金額を口頭で伝える以外に馬券を買う方法はなかったから、その3種類というのはちょうどいいあんばいだったようにも思う。
枠連の組み合わせは最大で36通り。したがって、万馬券なんぞはめったにお目にかかれないし、そんなものを狙う気も起こらなかった。その年の年末、オグリキャップが引退レースを飾った有馬記念は、枠連で2、3、4、7のボックス(という表現方法も当時はなかったですが)に加えて7-7と4-4を強弱つけて買い、結果としては3-4の7.2倍が当たったのだが、黒字はほんのちょっとだったなあ。
それから2年ほど、週に2回は競馬場に行き、買えるレースはすべて買うという状態が続くことになりまして(汗)。そのころは今よりも直観に頼る予想をしていた気がする。そして、今よりも馬券を買う勇気がたくさんあった。つまり「怖いもの知らず」。血統というファクターにも気づいていなかったその当時は、要するに騎手のヘルメットの色が走っていたようなもの。それでけっこう楽しかったのだから牧歌的ですわ〜。
その翌年、1991年9月からJRAで馬連が導入された。競馬中毒の患者だった当時の私は、青森港を午前2時すぎに出る船に乗り、先行発売された函館競馬場まで馬連を買いに行った。いやあ、アホですねえ。
(函館競馬場でもらった記念品)
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