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コラム
「2歳馬取材のシーズンです」
2017/3/27
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そりゃ現実は厳しくて、テレビゲームのように簡単に行く話ではないんですが、この段階では夢しかないですからね。そういう若駒の姿を見られるのは幸せなことです。と同時に、これは北海道に来るたびに思うことなのですが、先人のみなさんは、よくここまで開拓したなあとため息が出る感覚がありますね。

本州からの入植は明治に入ってからなので、およそ140年前。しかし当時はブルドーザーもなければダンプカーもない、もちろんホームセンターで大工道具を買えるわけでもない時代。

日高地方はアイヌの先住民たちが生活の基盤を作っていた土地でしたが、広大な原生林を牧場にしていったのは、主に淡路島やその周辺から来た人たち。まずは船で寝泊まりして、夜明けから日没まで木を切り倒してそれを売って、残った根っこを抜いて土地を平らにする作業……

気が遠くなりますわ。大正末期に鉄道が静内まで来ましたが、その当時はもちろん、昭和中期までは馬産地を訪問するなんて大変なこと。上野発の夜行列車で青森駅に着き、凍えそうなカモメ見ながら連絡船に乗って、函館から特急列車で苫小牧、そこから乗り換えて静内。到着は出発してからだいたい24時間後でしょうなあ。


静内市街地から車で20分の牧場
(静内市街地から車で20分の牧場)

それを考えると、飛行機でパッと行ってレンタカーでヒョイと馬産地に着ける現代って、ちょっと恵まれすぎだなと思ってしまいます。ちなみに先週金曜日は浦河を夕方5時に出て、サイタマの自宅に着いたのは0時ごろでした。

しかし今でも生産牧場の人たちの仕事内容はあまり変わっていないんですよね。数十年前からの主な変化といえば、
●馬運車がなかったために近所に住んでいる種牡馬しか選べなかった
→選択の幅が広がった
●馬の食べ物は自宅近所で刈り取った牧草が中心
→輸入物も与えられるようになった
●馬は仲買人による庭先取引がほとんど
→昭和30年代からセリ市場で販売ができるように

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