「再び北海道の馬産地に来ました」
2018/4/9
今週は北海道浦河町からの膝栗毛。千歳空港での日曜日の昼過ぎの気温は6度でしたが、飛行機から降りた瞬間はそれほど寒さは感じないという印象。やはり「北海道に行く」という心の準備があるから大丈夫というところがあるのでしょう。これが自宅で「夜が明けたら気温が6度」となると、けっこうダメージを食らってしまいます。
晴れていてもそれほど強烈な陽射しではないという春先の北海道の空の下、レンタカーでレッツゴー。日高自動車道を経て、もうおそらく100回は走っている国道235号線を南下すると、国道と併走しているJR日高本線の線路が運転席からよく見えます。
大正期の創設から徐々に距離を伸ばし、昭和初期に様似まで開通した日高本線はまず、山の木を伐り出して輸送する役割を担い、その木は建築材料としてはもちろん、苫小牧にある大きな製紙工場に運ばれて日本の発展に役立ちました。
そしてだんだんと木がなくなってきた大地は、牧場へと姿を変えます。それとともに日高本線を走る貨物列車には、競走馬も積み込まれることになりました。
文字どおり、馬産地を走る大動脈として毎日変わらずに運行されてきた日高本線。しかし2015年が明けてすぐ、いわゆる“爆弾低気圧"によって線路の路盤が削られたために鵡川から先の115kmが運休。それでもしばらくすると静内から先の区間で運転が再開されましたが、波に削られる部分は徐々に大きくなってしまい、2015年3月以降は列車が鵡川から先に行くことはなくなりました。
全線開業からおよそ80年。それまでにも新冠川にかかる橋が流されたということはあったらしいですが、最近の破壊度はかなりのもの。ここのところ台風が北海道に到達する回数がなんとなく増えている感じがしますし、これが「地球温暖化」の影響なのかもしれません。
いやしかし、国道を走るたびに破壊された線路を見るのは、じつに忍びないものがありますね。2016年の夏の台風で流されてしまった慶能舞川橋梁は、昨年の夏はぐにゃりと曲がったレールが放置されていましたが(波のパワーを実感しました……)、いつの間にかそれが撤去。しかし落ちた橋は一部がそのままの状態になっています。
その橋の近くにある清畠駅に立ち寄ってみました。一昨年の9月に通ったときは、駅前の家の住民たちが、浸水してしまった家財道具を天日干ししていました。
(清畠駅付近の浮いた線路)
さっそく様子を見てみると、レールはあるものの、それを支える砂利がない部分がところどころ。そこが徐々に広がっていくのかなと思いつつ、2つ先の大狩部駅に行ってみるとさらに厳しい状況になっていました。
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